タイの特許・実用新案の権利化期間(技術分野で異なる)

こんにちは、知財実務情報Lab.専門家チームの石川勇介(弁理士、元ジェトロ・バンコク事務所)です。

 

今回は、「タイの特許・実用新案の権利化期間(技術分野で異なる)」についてご説明したいと思います。

 

1.はじめに

前回の記事「東南アジアの実用新案」では、実用新案について権利期間が短いといったデメリットはあるものの、①「権利の保護対象」が特許と同じであること、②「新規性・進歩性の要件」について進歩性は必要なく、新規性があれば権利が有効になること、③登録されればそのまま権利行使を行えること、④特許と同様に差止請求、損害賠償請求できる、といったメリットが存在するため、戦略的に「実用新案」を活用することも一案であることを説明しました。

 

特に、「タイ」では、技術分野によっては特許の権利化までの期間が相当長いため、現地で権利保護したい技術次第では(ライフサイクルが短い、模倣品がすぐ出回るなど)、「実用新案」で早期権利化を図ることも一案であることを説明しました。

 

今回は、東南アジアのうち、「タイ」の特許・実用新案に焦点を当てて、(1)技術分野ごとの権利化期間にどの程度の差があるのか、技術分野や技術内容によって特許と実用新案を使い分けているケースはあるのか、(2)実用新案ではなく特許出願の権利化を早める方法はあるのか、について説明したいと思います。また、(3)もう間もなくとも言われている特許法改正の内容(今回の法改正によって権利化期間の短縮が期待できる)についても触れたいと思います。

 

  

2.特許、実用新案の権利化期間

まずは、技術分野ごとに分けた特許、実用新案の権利化期間の違いについて確認したいと思います。

 

下記のグラフは、技術分野を「機械工学」、「機器」、「電気工学」、「化学/化学工学」、「化学/無機材料」、「化学/有機・バイオ・医薬」の6分野(化学については細分化)に分けたときの特許、実用新案の「出願から権利化までの平均期間」の統計を示しています。グラフの横軸は、「出願~登録までに要した年数」を示し、グラフの縦軸は「登録された年」を示しています。

 

「タイの特許の権利化期間(技術分野ごと)」

 

上記グラフによれば、「機械工学」の権利化期間が最も早く(平均6.8年:2021年)、年ごとのバラツキも大きくなく徐々に短縮している傾向があります。そして、「機器」:平均7.6年「電気工学」:平均8.7年となっており、これら分野についても徐々に短縮している傾向が見えます。

 
他方で、「化学」においては、「化学工学」:平均8.7年「無機材料」:平均10.5年「有機・バイオ・医薬」:平均12.3年となっており、総じて権利化期間が遅く、バブルチャートによる年ごとのバラツキも大きい傾向にあります。

 

特に、「有機・バイオ・医薬」においては権利化期間が最も遅く、案件によっては出願日から既に20年が経過してしまい、権利化される前に権利期間が満了してしまう悲惨なケースもあるようです。

 

続いて、技術分野ごとに分けた「実用新案」の権利化期間を確認しましょう。

 

 

「タイの実用新案の権利化期間(技術分野ごと)」

 

上記グラフによれば、実用新案では年ごとのバラツキが小さく、権利化期間が相当に早いです。「機械工学」の権利化期間が平均1.8年:2021年、「機器」:平均1.9年「電気工学」:平均1.9年となっています。

 

また、「化学分野」においても、「化学工学」:平均2.2年「無機材料」:平均2.9年「有機・バイオ・医薬」:平均2.9年となっています。特許で最も権利期間が遅かった「有機・バイオ・医薬」であっても相当早くなっており、年ごとのバラツキも小さいです。

 
「特許」と「実用新案」の比較において、技術分野によっては(特に化学分野)、権利化期間の差が最大10年程度となっています。小発明のほか、審査に時間を要すると予想される複雑な案件について、実用新案を選択することも有用かもしれません。

 

 

3.特許、実用新案の出願ケース

続いて、技術内容や技術分野ごとに特許と実用新案を使い分けているケースはあるのか、「タイで実用新案を多く出願している出願人」による特許・実用新案の出願ケースを調査したいと思います。

 
下記の表は、全出願人の実用新案の出願件数ランキングを示しています。

 

「タイの実用新案の出願件数ランキング(全出願人)」

 

全出願人ランキング表(2018年~2021年)を見ると、タイの民間企業や外国籍の出願人による実用新案の出願件数は少なく、上位は全てタイの大学や研究機関によるものでした

 
外国籍の出願人の中で実用新案の件数が多い出願人を対象として、特許と実用新案を使い分けた出願を行っているが否かを調査したいため、下記のランキング表(日本国籍のみ)にいる出願人によるタイ実用新案の出願案件(2015年~2021年分)を、海外ファミリー含めて確認してみました。

 

「タイの実用新案の出願件数上位ランキング(日本国籍のみ)」

 

確認結果として、タイで実用新案がなされた出願案件について、現地のグループ会社や現地子会社、現地企業との合弁会社による現地発の技術が実用新案出願されたものと思われるケースが大半を占めることが分かりました。この場合、海外のファミリー出願はなされていないか(タイのみ)、他のアセアン諸国のみ(例えばベトナム)にファミリー出願がなされていました。

 

一方で、ある出願人のケースでは、日本で創出された発明の日本特許出願を基礎出願として米国や中国では「特許」の優先出願(国内移行)を行う一方で、タイやベトナムでは「実用新案」の優先出願(国内移行)を行っているケースが確認されました。このケースについては戦略的に実用新案を利用しているものと思われました。

 

現状のところ、タイを含む東南アジアにおいては、例えば中国のように特許と実用新案を戦略的に使い分けて出願したり、併願したりするケースは非常に少ないものと考えられます。実用新案については、現地の大学や研究機関が研究成果の一環として多く利用されるに留まり、現地の民間企業から出願されるケースも少ないようです。

 
なお、技術分野ごとに特許と実用新案を使い分けてタイで出願を行っているようなケースも確認されませんでした。

 

 

4.特許出願の権利化を早めるためには

次に、タイにおいて実用新案ではなく特許出願をした場合に権利化を早める方法について、説明します。出願人ができる措置としては、PPH(日タイ特許審査ハイウェイ)、ASPEC(アセアン特許審査協力)を活用する方法があります。

  

PPH」とは、各特許庁間の取り決めに基づき、第1庁(先行庁)で特許可能と判断された発明を有する出願について、出願人の申請により、第2庁(後続庁)において簡易な手続で早期審査が受けられるようにする制度です。日本特許庁とタイ知的財産局は、このPPHを2014年1月より実施しています。

 

また、「ASPEC」とは、ASEAN加盟国における特許庁間で特許調査及び審査結果を共有することで業務の効率化を図る制度です。加盟国は、ミャンマーを除くアセアン9カ国となっています。

 

PPHでは、「第2庁になされた特許出願の全ての請求項が、第1庁になされた特許出願の特許可能と判断された請求項のいずれかと十分に対応していること」などの要件が課されるものの、タイでは、下記のグラフの通り、かなりの権利化期間の短縮が期待できます。

 

「タイでのPPHの運用実績」

 

技術分野によって差はあるものの、PPH申請をした出願案件については、PPH申請日からタイ審査官によるFA(First Action)の通知日まで全体平均11.4カ月というスピードで審査がなされています。既にPPH申請された出願案件全体のうち、87.3%の案件が既にFA通知を受け取っており、57.0%が登録されています。しかも、FAの通知内容について「登録査定」又は「登録を前提とした補正命令」が多いと聞いています。(通常の出願案件の場合、審査請求日からFA通知日までに全体平均3.2年ほどかかるようです。)

 

なお、上記権利化期間の統計情報で用いた「技術分野」と、タイの特許審査で用いられる「技術分野」とでは、幾分カテゴリの違いがある点ご留意下さい。

 

上記で説明したように、全技術分野、特に権利化期間が長い技術分野となる「化学/化学工学」、「化学/無機材料」、「化学/有機・バイオ・医薬」の分野においては、PPHの申請要件を満たす限りにおいては、権利化期間を早める有効な手段と言えそうです。

 

なお、ジェトロとタイ知的財産局の意見交換によると、タイ知財局内では「PPH」、「ASPEC」ともに同等に扱って(同等の早さで)審査しているようです。実際のトータルの審査期間やアセアン他国を経由したコストなどを考慮するならば、「PPH」を利用した方が良いかと考えます。

 

 

5.タイ特許法改正の内容

タイでは、もう間もなく、主に「審査期間の短縮」を目的とした特許法の改正が予定されています。タイ知財局によれば、2022年1月にパブコメ募集がなされた後、商務大臣の署名がなされ、内閣の承認待ちの状態とのことです。

 

公開された改正法案の内容によれば、「発明特許(特許に相当)」について、特に日系企業から要望のあった「出願公開時期の法定化(出願日から18カ月)」、「自発分割の導入」、「審査請求の出願日基準化(出願日から3年以内)」、「新規性の世界公知基準の明確化」、「登録後の誤記訂正」、「ライセンス登録制度の緩和」といった内容が盛り込まれています。

 
また、「意匠特許(意匠に相当)」について、権利期間の伸長(10年⇒15年)、「部分意匠制度、関連意匠制度の導入」、「自発分割の導入」、「公開遅延請求制度の法定化」、「ハーグ協定への対応」といった内容も盛り込まれます。

 
一方で、「職務発明制度による報酬の算定基準」が不明瞭であることや、「タイで第一国出願をする場合に外国語で特許出願をすることができない」、「部分意匠制度が導入されていない」、また、「登録後の軽微な誤記訂正を認める条項が新設されたものの、誤訳訂正までは認められない」、といった課題は依然として残されています。

 

このように、上記「出願公開時期の法定化(現状、出願公開時期の規定がない)」、「審査請求の出願日基準化(現状、出願公開日から5年以内となっている)」がなされることで、『出願公開がなされないため審査請求できない・・』といったタイ特有の事情が改善されることとなり、法制度の側面からも審査期間の短縮(権利化期間の短縮)が期待できます。

 

 

6.まとめ

以上、「タイ」の特許、実用新案について、(1)技術分野ごとに分けた出願から権利化まで期間(権利化期間)、(2)特許出願をした場合の権利化を早めるための方法を説明するとともに、(3)タイ政府の取り組みでもある特許法改正の内容についても触れました。

 

東南アジアにおいてタイは日系企業が最も海外進出している国であり、今後の知財制度の整備が期待されています。

 

現状のところは、タイ特有の制度事情を踏まえて、タイで特許出願した場合には早期権利化を検討すること、案件によっては戦略的に実用新案を検討すること等の対応ができると望ましいと考えています。今回の知財情報がタイの知財実務においてご参考になればと思います。

 

なお、ジェトロHPに「アセアンの産業財産権データベースから得られる特許及び実用新案の統計情報2021」、「タイ模倣対策マニュアル2021(特許法改正内容についても解説あり(8頁目))」の調査報告が挙げられています。こちらもご参考にしてください。

 

 

石川 勇介(弁理士、元ジェトロ・バンコク事務所)

専門分野:特許権利化実務(化学/材料/機械/ソフトウェア/ビジネスモデル)、特許調査

 

秋山国際特許商標事務所 https://www.tectra.jp/akiyama-patent/