こんにちは、知財実務情報Lab. 専門家チームの石川勇介(日本弁理士、元ジェトロ・バンコク事務所)です。
今回は、「東南アジアの特許の誤訳訂正」についてご紹介したいと思います。
以下、下記の項目に沿ってご説明します。
1.はじめに
2.特許の誤訳訂正の可否
3.誤訳を避けるための留意事項
4.まとめ
1.はじめに
近年、日本企業によるアセアン諸国への進出、特に中国からアセアン諸国への生産移管が進んでおり、アセアンにおいて「商標出願」だけでなく「特許出願」の件数も徐々に伸びてきています。
例えば、ベトナムでは、新型コロナの影響を抑えて経済が好調に推移しており、下記グラフの通り、特許の出願件数が順調に伸びています。
ベトナムの特許の出願件数
※出典:ASEANの知財概況2023(ジェトロ)
他方で、今後、アセアン諸国において日本企業が特許権に基づいて権利行使を図ることが増えると予想されるところ、特許クレームの誤訳により権利行使ができないといった問題が顕在化する可能性があります。
特に、日本企業の注目が高いベトナム、インドネシア、タイにおいては、英語ではなく現地語(ベトナム語、インドネシア語、タイ語)で特許の権利化を図る必要があります。そうしたなかで、①特許翻訳に精通した現地翻訳者を探すことが難しい、②正しく現地語に翻訳されているかチェックすることが難しい等といった事情があります。
今回は、アセアン主要国において日本企業が特許出願の権利化を図るにあたって、「特許の誤訳訂正の可否」、「誤訳を避けるための留意事項」についてご説明したいと思います。
2.特許の誤訳訂正の可否
まず、日本での「誤訳の訂正」の取り扱いについて確認したいと思います。
日本では、特許法126条(訂正審判)に下記のように規定されています。
特許権者は、願書に添付した明細書、特許請求の範囲又は図面の訂正をすることについて訂正審判を請求することができる。ただし、その訂正は、次に掲げる事項を目的とするものに限る。
一 特許請求の範囲の減縮
二 誤記又は誤訳の訂正
三 明瞭でない記載の釈明
四 他の請求項の記載を引用する請求項の記載を当該他の請求項の記載を引用しないものとすること。
また、「誤訳の訂正」に必要な要件が下記のように規定されています。
(1)誤訳の訂正を目的とするものであること(特許法126条1項)。
(2)外国語書面出願に係る特許の訂正にあっては、外国語書面に記載した事項の範囲内であること(特許法126条5項)。外国語特許出願に係る特許の訂正にあっては、国際出願日における国際出願の明細書、請求の範囲又は図面に記載した事項の範囲内であること(特許法184条の19)。
(3)実質上特許請求の範囲を拡張し、又は変更するものではないこと(特許法126条6項)。
(4)訂正後における特許請求の範囲に記載されている事項により特定される発明が独立特許要件を満たすものであること(特許法126条7項)。
なお、特許・実用新案審査基準には「外国語書面出願の制度概要、審査」の詳細が記載されています。また、実務上の留意点としまして、平成27年(行ケ)第10216号審決取消請求事件では、特許権の誤訳訂正の際に「実質上特許請求の範囲を拡張し、又は変更するものではないこと」の該当性が争われています。
続いて、日本と比較して、アセアン主要6カ国における特許クレームの誤訳訂正の概要をまとめると、下記表のようになります。
特許の誤訳訂正のまとめ
➤根拠条文(リンク付):タイ特許法第20条、インドネシア特許法第39条、69条、ベトナム知財法第115条、シンガポール特許法第84条、107条、マレーシア特許法第26A条、79条A、フィリピン特許法第59条
アセアン主要6カ国のうち、シンガポール、マレーシア、フィリピンについては、英語で特許の権利化を図ることができ、また特許後も誤訳訂正を請求することができます。そのため、①正しく現地語に翻訳されているかチェックすることが比較的容易であって、②特許クレームの誤訳の結果、権利行使できなくなるといった問題は生じ難いものと考えます。すなわち特許クレームの誤訳によるハードルは小さいと考えられます。
他方で、タイ、インドネシア、ベトナムについては、英語で特許の権利化を図ることができず、タイ語、インドネシア語、ベトナム語で権利化を図る必要があります。
特に、タイ、ベトナムにおいては特許後に誤訳を発見した場合であっても訂正の機会がないため、インドネシアにおいても特許謄本送達後3カ月以内しか訂正する機会がないため、特許クレームの誤訳は致命的になります。
3.誤訳を避けるための留意事項
ジェトロ調査によれば、誤訳の類型として、現地翻訳者による意訳、日本語特有の語彙・構成順序に起因する翻訳ミスなどが多いとあります。
誤訳を防ぐために、下記のような対応策を取ることが考えられます。これらは、日本語から東南アジア言語への翻訳に特有の内容ではなく、他言語への翻訳全般に言える内容になります。
(1)漢字を重ねた特許技術用語(例えば挿設、突設、緩嵌、螺嵌など)の使用を避けること。
(2)漢字の意味を利用した構成要素に頼らず、構成要素を説明する記載を心掛けること(例えば、「~~の付着量が・・」との記載を「**の表面に付着した~~の付着量が・・」などと記載すること)。
(3)できる限り長文を用いた記載はしないこと。主語を省略せず、主語が記載された請求項の作成を心掛けること。字下げ、セミコロンを利用して係り受けを明確にすること。
(4)構成要素の説明に関する記載を「形態・構成」と「機能・作用」とに分けること(例えば前半で「形態・構成」を説明し、後半で「機能・作用」を説明すると、翻訳者が係り受けを理解し易くなる)。
現状は、特許翻訳に精通した現地翻訳者を探すことは難しく、上記のような「誤訳が生じ難い構成要素の記載」を心掛ける必要があります。あるいは、重要な案件であれば、「現地代理人のダブルチェック」、「現地語特許クレームから英語特許クレームに逆翻訳」を依頼するなどの対応が望まれます。
費用を極力掛けない手段として、近年、グーグル翻訳、DeepLなどの機械翻訳の精度が高まっており、機械翻訳による誤訳チェックを活用することで、一定程度の誤訳チェックを行うことも可能となっています。
言語同士において翻訳の相性があることも知っておくと良いです。例えばインドネシア語と英語の翻訳の相性は比較的良いとされ(同じ表音文字であるアルファベットで表現され、基本5文型で構成されている)、インドネシア語の翻訳の際には英語と比較することで精度が高まります。
「誤訳の類型」、「誤訳を防ぐ留意事項」について、詳細は上記ジェトロ調査報告書「タイ、ベトナム、インドネシアにおける翻訳の質調査(報告書、パワポ資料)」が大変参考になります。ご参考にしてください。
4.まとめ
以上、アセアン諸国において、今後、日本企業が特許権に基づいて権利行使を行うにあたって、特許クレームの誤訳訂正の可否、また誤訳を避けるための留意事項について簡単にご説明しました。
繰り返しになりますが、現状、タイ、ベトナム、インドネシアにおいては、現地語(ベトナム語、インドネシア語、タイ語)で特許の権利化を図る必要があるものの、特許付与後の誤訳訂正の機会がない点について事前に留意すべきと考えます。
日本を含む諸外国から、柔軟な誤訳訂正を可能とする特許法の改正要望がなされているものの、タイ、ベトナム、インドネシアでは、依然としてそのような改正の予定について現地から聞いておりません。そのため、出来る限りの誤訳を避けるための工夫、対応が必要となります。
今回の情報が東南アジアの知財実務においてご参考になればと思います。
石川 勇介(弁理士、元ジェトロ・バンコク事務所)
専門分野:特許権利化実務(化学/材料/機械/ソフトウェア/ビジネスモデル)、特許調査
秋山国際特許商標事務所 https://www.tectra.jp/akiyama-patent/