タイにおける営業秘密の保護(現地で問合せが増えている)

こんにちは、知財実務情報Lab. 専門家チームの石川勇介(日本弁理士、元ジェトロ・バンコク事務所)です。

 
今回は、「タイにおける営業秘密の保護」についてご紹介します。

  

 

以下、下記の項目に沿ってご説明します。

1.はじめに
2.営業秘密の定義
3.営業秘密の侵害の定義
4.エンフォースメント
5.タイでの侵害事例の紹介
6.救済手段、訴訟における争点
7.現地代理人へのヒアリング
8.まとめ

 

 

1.はじめに

近年、中国からアセアン諸国への生産移管が進んでおり(ジェトロ地域・分析レポート2021)、アセアンにおいても技術ノウハウの漏洩など、日本企業が有する「営業秘密の流出問題」に注意を払う必要性が増えています。

 

アセアンにおいて「営業秘密の保護に関する法律」は制定されていますが、既存の法制度を用いて営業秘密の盗用に対し「有効な法的措置を取る」ことには限界があります。そのため、営業秘密情報へのアクセス制限、従業員教育など、物理的な管理を徹底することで「営業秘密の保護」を図る必要があります。

 

今回は、日本企業の注目の高い「タイ」の「営業秘密に関する法制度」をご紹介し、営業秘密の盗用に対し、どのような「法的措置」を取ることが可能かご説明したいと思います。また、裁判例に関しても一部ご紹介します(裁判例についてタイの専門家にご質問し、回答結果も頂いています)。

 

※「日本の営業秘密の保護」に関しては、経済産業省のウェブサイト「営業秘密~営業秘密を守り活用する~」に分かり易くまとめられています。

 

 

2.営業秘密の定義

タイの営業秘密に関する根拠法令としては、下記の法令が存在します。

  1. タイ営業秘密法(2002年に制定、2015年に改正)
  2. タイ特許法(1999年に改正)、タイ特許法に基づく省令第24号
  3. タイ著作権法(2022年に改正)
  4. タイ労働者保護法(2019年に改正)
  5. タイ不公正契約法(1997年に制定)

 

営業秘密法第3条によれば、「営業秘密とは、まだ一般に広く認識されていない、又はその情報に通常触れられる特定の人にまだ届いていない営業情報であって、かつ機密であることにより商業価値をもたらす情報、及び営業秘密管理者が機密を保持するために適当な手段を採用している情報であるものを意味する。」と規定されています。

 

つまりは、「営業秘密」とみなされるためには、以下の三つの要件を満たす必要があります(タイは日本と同様にWTO加盟国であり、TRIPS協定を踏まえた要件となっています)。

 

(I)まだ一般に広く認識されていない、又はその情報に通常触れられる特定の人にまだ届いていない営業情報であること。日本の「非公知性」に相当します。

(Ⅱ)機密であることにより商業価値をもたらす情報であること。日本の「有用性」に相当します。

(Ⅲ)営業秘密管理者が機密を保持するために適当な手段を採用している情報であること。日本の「秘密管理性」に相当します。

 

 

3.営業秘密の侵害の定義

営業秘密法第6条によれば、「営業秘密権の侵害とは、営業秘密保有者の許可を受けることなく営業秘密を開示、持ち出し又は使用することであり、正当な商業手法に違反する行為をいう。」と規定されています。

 

つまりは、「営業秘密の侵害」にあたる行為とは、(I)当該営業秘密保有者の許可を受けることなく営業秘密を開示、持ち出し又は使用すること、かつ、(Ⅱ)正当な商業手法に違反することものである。

 

上記(I)の類型としては、情報への不法侵入、情報入手のための会社担当者に対する賄賂の提供、電話による盗聴、Eメールの不法侵入、コンピュータシステムへの不法侵入、書類の窃盗などが挙げられます。

 

上記(Ⅱ)の類型としては、当事者双方の信頼に基づく営業秘密契約の不履行、侵害若しくは侵害するように勧誘すること、贈収賄、強迫、詐欺、窃盗、盗品の受領、又は電子若しくはその他の方法を用いた諜報活動が挙げられます。

 

なお、営業秘密法7条には、「侵害行為の例外」について規定されており、善意の者を保護すること、公衆の衛生又は公の秩序に必要な保護をすること、独自に他人の営業秘密を発見した者を保護すること、リバースエンジニアリングにより営業秘密を発見した者を保護すること等が挙げられています。

 

 

4.エンフォースメント

営業秘密法8条によれば、「ある者が営業秘密権を侵害している、又は侵害に当たる行為をしようとしているという明確な証拠がある場合に、営業秘密管理者は、(I)裁判所に対して営業秘密権の侵害の仮差止め又は中止を侵害者に命ずるよう請求ができる、及び(Ⅱ)侵害者による営業秘密権の侵害を永久的に禁止するよう訴えることができ、侵害者に補償金を請求するよう訴えることができる。」と規定されています。

 

営業秘密侵害は、民事及び刑事の場面で救済がなされます。

 

(4-1)民事救済

営業秘密管理者は、上記営業秘密法第8条に基づいて、営業秘密侵害(侵害の虞)に対して恒久的または仮の差止め、及び損害賠償を請求できます。当該管理者は実際に損害が生じている場合だけでなく、損害が発生していなくても、侵害行為(侵害の虞)があることの証拠があれば、仮差止めを請求して損害の発生を未然に防ぐことができます。

 

「損害賠償額の算定」については以下の3つの方法(①実際の損害額、②①による算定ができない場合に裁判所が合理的とみなす金額、③悪意ある場合には①又は②に加えた懲罰的保証※(①又は②の損害賠償額の二倍を限度)が規定されています(営業秘密法第13条)。

※「懲罰的保証」が命じられた判例があるか、現地ヒアリングを行いました。

 

(4-2)刑事救済

刑事罰について営業秘密法第33条によれば、「営業秘密管理者が事業を営む上で損失を被るよう、悪意により他人が保有する当該営業秘密を営業秘密である状態でなくなるよう、一般に認識されるよう公開した者には、文書、音声放送若しくは影像放送を使用した公開、又はその他の方法によって開示したかに関わらず、1年以下の禁錮刑若しくは20万バーツ(約80万円)以下の罰金、又はその両方を科する。」と規定されています。

 

 

5.タイでの侵害事例の紹介

営業秘密に関する紛争については、1997年1月から2020年9月までに民事事件53件、刑事事件37件あるようです(タイにおける営業秘密管理マニュアル)。以下、代表的な裁判例を簡単にご紹介します(元従業者による行為が争われる事例が多い印象です)。

 

「最高裁判所判決No. 2181/2553(刑事事件)」

原告(パッケージシステムの製造販売業者)が被告ら(元従業者)に対し、被告がパッケージ機械の製造方法に関する原告の営業秘密を用いて類似のパッケージ機械を製造し顧客に販売したとして、営業秘密の侵害に基づき私的刑事訴追を行った事例。

最高裁は、機械の販売は公衆に対する営業秘密の開示に該当するとはいえないとして、被告らによる機械の販売は営業秘密侵害に該当しないと判示した。

 

「最高裁判所判決 No. 10217/2553(刑事事件)」

原告(オフィスオートメーションに関する機器及び装置の卸売及び小売業者)が被告ら(元従業者)に対し、被告らが原告の商品に関する情報及び顧客リストを他の被告ら(原告の競合会社)に対し開示したとして、営業秘密の侵害に基づき私的刑事訴追を行った事例。

最高裁は、原告は秘密保持のための適切な方法を採っておらず、従って、原告の主張する秘密情報は営業秘密には該当しないとした。

 

「CIPITC 判決No. 104/2563(民事事件)」

裁判所が、以下の秘密保持措置がとられていることを事実認定した上で、適正評価手続報告書が秘密情報であることを認めた事例。

I 情報にアクセスできる者の制限

Ⅱ 情報へのアクセスのためのパスワード設定

Ⅲ 秘密保持契約及び競業避止義務契約の締結

Ⅳ 原告の取締役である被告との間には、信頼関係と忠実義務があること

 

「控訴審判決 No. 2651/2564(民事事件)」

上記CIPITC 判決No. 104/2563の控訴審である。

控訴審においては、裁判所は損害賠償を以下のように決定した。

(I) 原告の従業員であるとの信頼に依拠した被告の事情、及び失われたデータの価値、プロジェクトの報酬、事故後の日本の太陽光発電所の稼働に与える影響から裁判所が考慮した第3原告の受けた重要性から、裁判所は、損害額を19,700,000THBと決定した。

(Ⅱ) 原告が裁判所に立証できる損害は、日本の法律事務所に対して支払われた、日本での太陽光発電所プロジェクト投資に関する法的地位のコンサルタントとしての報酬である。裁判所は、損害額を300,000THBと決定した。

(Ⅲ) 以上のことから、裁判所は原告に対し、総額20,000,000THB(約8000万円)に年7.5%の割合による利息を付けて賠償するよう命じた。

 

 

6.救済手段、訴訟における争点

「営業秘密侵害」においては、営業秘密を保護するために登録を必要としないことから、営業秘密の所有権に関して、営業秘密の管理者の立証負担が大きいと言われています。ただし、農薬製品及び医薬品については、営業秘密の保護を当局に求めるための登録手続を定めた規則が存在します。そのため、当該分野についての営業秘密管理者は、タイ知財局に営業秘密を登録することで、訴訟において所有権の証拠として活用することができます。

 

「民事救済」の特徴として、営業秘密侵害行為に対する仮差止めが可能であること、実損額を超えた懲罰的損害賠償請求が可能であることが挙げられます。他方で、懲罰的損害賠償が認められた事例はないようです。裁判所は、損害賠償額の算定にあたって、自身の遺失利益や侵害者の利益について原告側の立証負担が大きいと言われています。

 

「刑事救済」の特徴として、営業秘密侵害に対し懲役刑※が課せられることによる抑止的効果が期待されます。他方で、営業秘密管理者は、(ア)悪意による侵害であること、(イ)それによって管理者に損害が生じたことについて立証責任を負う必要があります。裁判所が証拠不十分で非侵害と判断した場合には、被疑侵害者から名誉毀損及び虚偽主張で反訴される可能性を考慮する必要があります。

※「懲役刑」が課せられたれた判例があるか、現地ヒアリングを行いました。

 

訴訟における主な争点としては、(I)「侵害行為該当性」、(Ⅱ)「営業秘密該当性」、(Ⅲ)「損害賠償額」の3つが挙げられます。

(I)「侵害行為該当性」について、営業秘密の管理者(原告)が主張する被疑侵害者の行為について、営業秘密法に規定される侵害行為のいずれに該当するか、また原告の主張する根拠条文に誤りがないかどうか等が争点になりうる。例えば、最高裁判所判決「No.2181/2553」が参考となる。

 

(Ⅱ)「営業秘密該当性」について、営業秘密の管理者(原告)は、ある情報が営業秘密法第3条に規定する3要件を備えており、営業秘密に該当することを証明できるかどうかが争点となりうる。例えば、上述の最高裁判所判決「No.10217/2553」やCIPITC 判決「No.104/2563」等が参考となる。

 

(Ⅲ)「損害賠償額」について、損害賠償額の算定について、裁判所はいくつかの要素を考慮して原告の逸失利益を計算する。そのため、営業秘密の管理者(原告)は関連する証拠を提出する必要がある。

 

裁判所の具体的な判断要素としては、営業秘密の性質、研究開発費、原告及び被告の事業間の競争状況、市場規模及び他の要素が挙げられる。

 

「損害賠償額」については、後述のようにCIPITC判決「No.98/2552」において2000万バーツの損害賠償額が決定された例がある。

 

 

7.現地代理人へのヒアリング

最新情報として、現地代理人(Tilleke & Gibbins Thailand)に、営業秘密侵害行為に関する判例について、以下のヒアリングを行ったので報告します(2023年1月時点)。

Q1 営業秘密侵害行為に対し、「民事救済」において、過去に「懲罰的損害賠償金の支払い」が命じられた事例、判例があるか?

A1 ネット上で公開されている判決や当事務所の記録によると、被告に懲罰的損害賠償を課した判例は見つからなかった。

 

2016年に特別専門事件の控訴裁判所が設立されて以降、知的財産に関する専門事件とされる営業秘密事件は、一般的に特別専門事件の控訴審レベルで確定する。なお、具体的な事案によっては、最高裁が、控訴審レベルから最高裁レベルへの追加控訴を認めることもある。

既に確定した最高裁判所および専門事件控訴審の判決は、一般に公開されるべきものであるが、実際のところは、最高裁判所と専門事件控訴裁判所は、毎年、参考のためにいくつかの判決を選んで公開している。なお、第一審裁判所である中央知的財産・国際貿易裁判所(CIPITC)の法廷判決については、その全てが公開されるわけではない。事件当事者のみが、そのような判決の詳細にアクセスできる。

上記タイの事情により、本回答では、あくまで公開されている判決文と、当事務所のみで取り扱った案件とを対象としている点について、ご留意頂きたい。

 

Q2 営業秘密侵害行為に対し、「刑事救済」において、過去に「懲役刑」が課せられたことはあるか?

A2 ネット上で公開されている判決や当事務所の記録によると、営業秘密侵害で懲役刑が課された事例や判例は見つからなかった。なお、営業秘密関連の刑事事件は、そのほとんどが棄却されている。

 

Q3 営業秘密侵害行為に関して、民事措置(民事救済)の判例(CIPITC, TorPor. 104/2563)にて、損害賠償額1000万バーツ(約 3500万円)が認められたと聞いている。

上記判例の損害賠償額が、2020年9月時点では今までで最も高額な賠償額であると聞いている。より高額な賠償額を認めた事例、判例があるか?

A3 上記事件(CIPITC, TorPor. 104/2563)は、第一審裁判所であるCIPITCによって決定された事件であり、まだ係争中である可能性があることに留意されたい。

当事務所の記録によると、第一審裁判所レベルの営業秘密侵害事件に対して当事務所が裁判所から受け取った賠償金の最高額は2000万バーツ(CIPITC, TorPor.98/2552)である。

現在、第一審裁判所において、営業秘密侵害に対して上記よりも高額な賠償が認められた公開情報およびその他の事例は、当事務所の記録上見つかっていない。

タイにおける知的財産権事件で認められた最高額の損害賠償額については、以下のリンクをご参照されたい。本リンク記事は2019年に公開したものであり、当事務所の知る限り、記事で言及した損害賠償額は現在も最新のものである。

IP&IT Court Awards Historic Patent Damages as Thailand Strengthens IP Protection
AsteadyincreaseinthenumberofcompaniestransferringtheirIPassetstoThailandhasseenanincreaseintheneedforthesecompaniestorelyonthecourtstoprotecttheircomplexscienti...

 

 

8.まとめ

現状、「営業秘密」に関して争われた事例、判例はあるものの、民事事件、刑事事件ともに非常に少ない件数です(2020年9月時点で民事事件の総数50件程度、刑事事件の総数は40件程度です)。これは、営業秘密侵害行為があった場合でも、その情報が営業秘密に該当すること(非公知性)、またはその秘密性を維持するために適切な措置が取られていること(秘密管理性)を原告が証明することが難しいといった理由があると考えられます。

 

東南アジア(特にタイ)では、日本企業において「営業秘密規定」に加えて「職務発明規定」の整備を進める動きがあり、具体的な職務発明契約書の内容や、職務発明において従業者に支払う報酬の規定についての問合せが増えていると現地から聞いています。なお、「職務発明」に関して争われた事例、判例は非常に少ないものの、今後、従業員への報酬額が争われる事例、判例が出てくるものと思われます。

 

日本企業におかれては、現地の法律、規則に照らし合わせて「営業秘密」や「職務発明(職務意匠)」といった知的財産管理、社内規定を整備しておくことをお勧めします。また、日本企業(特に中小企業、スタートアップ企業)をサポートする特許事務所、法律事務所におかれでは、クライアント企業の海外進出(アセアン進出)にあたってこのような知財管理、社内規定の整備を支援できるように、現地の情報収集そして現地代理人との連携を密にしておくと望ましいです。

※本記事は、S&Iインターナショナルの澤井容子先生との共同により作成した調査報告をもとに分かり易くまとめてご紹介するものです。

なお、日本企業の進出先として注目が高いタイ、ベトナム、インドネシアの営業秘密に関して下記報告書が参考となりますのでご参照ください。

タイ及び日本における営業秘密保護2017(S&I International Bangkok)

タイにおける営業秘密管理マニュアル2021(ジェトロ)

ベトナムにおける営業秘密管理マニュアル2021年(ジェトロ)

タイ、インドネシア『国際知財制度研究会』報告書2018(一般財団法人知的財産研究教育財団知的財産研究所)

タイ、ベトナム、インドネシアにおける知財リスク調査2016(ジェトロ)

 

 

石川 勇介(弁理士、元ジェトロ・バンコク事務所)

専門分野:特許権利化実務(化学/材料/機械/ソフトウェア/ビジネスモデル)、特許調査

 

秋山国際特許商標事務所 https://www.tectra.jp/akiyama-patent/