東南アジアの職務発明制度(報酬額は?)

こんにちは、知財実務情報Lab. 専門家チームの石川 勇介(日本弁理士、元ジェトロ・バンコク事務所)です。 

 
今回は、「東南アジアの職務発明制度」についてご説明したいと思います。

 

1.はじめに

近年、東南アジアに進出している日系企業において「現地の職務発明規定の整備」を進める動きがあり、具体的な職務発明契約書の内容や、職務発明において従業者に支払う報酬の規定についての問合せが増えていると現地から聞いています。

 

そこで、今回はアセアン主要6カ国(タイ、インドネシア、ベトナム、マレーシア、シンガポール、フィリピン)における「職務発明規定の現状」について説明します。

 

また、職務発明(特に職務発明の報酬)について争われた「判例」が存在するか否かについて現地代理人にヒアリングしましたので報告したいと思います。※1
※1:ヒアリング結果は2022年1月時点の情報です。

     

2.職務発明規定について

まずは、アセアン主要6カ国での「職務発明制度の権利帰属先、報酬(対価)」について簡単にまとめますと、下記表の通りになります。

 

アセアン主要6カ国の職務発明制度のまとめ

 

以下、各国について概要を説明します。

 

(2-1)タイ  ※特許法11条、12条特許法に基づく省令第24号第8条

雇用契約又は一定業務の遂行を目的とする契約の下でなされた発明の特許を出願する権利は、その「契約」に特に定めがない限り「使用者又は業務委託者」に帰属するものと規定されています。

  
職務発明に対する「対価」として、職務発明に係る特許を出願する権利が使用者に帰属する場合に、当該職務発明から使用者が利益を受ける場合には、当該発明をした従業者は通常の賃金のほかに報酬を受ける権利を有するとされ、かかる権利は契約によって排除することはできない旨規定されています。

 
また、職務発明契約において報酬額を定めることはできるものの、職務発明をした従業者が、使用者から当該報酬の支払いを受けられなかった場合、あるいは使用者が定めた報酬に不服がある場合には、「知財局局長」に対し報酬額を定めるように「申請」することができると規定されています。従業者から上記請求があった場合に、知財局局長が報酬額を定めるにあたり斟酌しなければならない要素が、特許法に基づく省令第24号第8条に列挙されています(従業者の職務内容、労力及び技能、使用者の援助、使用者の利益など)。

 
なお、現地代理人によれば、報酬額については、発明の重要性に応じて発明1件あたり1回払いで5千~1万バーツ(1万8千~3万6千円)程度とのことでした。

 

(2-2)インドネシア  ※特許法12条

雇用関係において発明され、又は従業員の職務上得られたデータ及び/又は設備を用いて発明された職務発明は、「別途契約」がある場合を除き、職務を与えた「使用者」に帰属するとされています。

 
職務発明に対する「対価」として、発明者は、職務発明から得ることができる「経済的利益」を考慮して、「報酬(相当な対価)」を受ける権利を有する旨規定されています。また、対価の額の算出方法及び算定に関して合意が得られない場合には、「商務裁判所」が判決で決定できる旨規定されています。

 
従って、使用者は、事前に相互が承諾して決定した額の対価に拘束されるように、従業員から「書面による合意」を得ておくことが望ましいです。後に裁判所が、そのような合意の真意について審理する可能性があるものの、書面による合意により「リスクを軽減」することができると考えられています。

 

(2-3)ベトナム  ※知的財産法第86条第1項、第135条第2項、第3項

当事者による「別段の合意」がない限り、資金及び物的施設を創作者に対し職務割当又は雇用の形態で投資した組織又は個人が、発明の登録を受ける権利を有すると規定されています。

 
職務発明に対する「対価」として、職務発明に係る発明の所有者は、創作者に対し当事者による「別段の合意」がある場合を除き、同法第135条第2項に従い報酬を支払う義務を負うと規定されています(最低料率を規定:①発明の使用から得た収入の10パーセント、②発明のライセンス付与による支払い時に、所有者が受領した金銭合計額の15パーセント)。

 
なお、「報酬」に関する条項は、雇用者が、発明者になる可能性がある者と労働契約やサービス契約を締結する際に、「特約によって排除することが可能」であり、雇用者が契約又は規則等で定める基準によって上記規定よりも低い金額の補償を行うことが可能です。

 

(2-4)マレーシア  ※特許法第20条、第21条特許審査基準
雇用契約又は業務遂行契約に「別段の規定」がない職務発明の場合、特許を受ける権利は「使用者又は業務委託者」に帰属します。

 
特許法の下では、従業員は、通常、職務発明に対して報酬を受ける権利を有しない。ただし、その発明が、雇用契約又は業務遂行契約が締結されたときに、当事者が合理的に予想することができたものよりも「遥かに大きな経済的価値」を獲得した場合には、発明者は「公正な報酬」を受ける権利を有する。当事者間に合意が成立しない場合は、「裁判所」がその報酬を定める旨規定されています。

 
職務発明であることを証明する根拠として、雇用契約の中で「業務範囲」を明確にすることが考えられます。

 

(2-5)シンガポール  ※特許法第49条、第50条特許出願審査ガイドライン
  

発明が従業員の通常の職務の過程で行われた場合、または従業員に特別に割り当てられた義務で行われた場合、または職務の性質および責任のために発明が生じた場合、従業員によってなされた発明は「使用者」に属するものとみなされます。

 
それ以外の従業員が行った発明は、「従業員」のものとみなされます。

「発明報奨制度」はありません。

 

(2-6)フィリピン  ※知的財産法第30条知的財産施行規則303
通常、使用者及び従業者の知的財産権は、「当事者間の契約条項」の下で管理される。このような契約がない場合に限り、「知的財産法」が参照されます。

 
同法には、発明が「従業者」に正規に課された職務の遂行の結果である場合に、「別段の明示の又は暗黙の合意」がない限り、特許は「使用者」に帰属する旨規定されています。

 
一方で、発明行為がその正規の職務の一部ではない場合には、従業者が使用者の時間、設備及び材料を使用する場合であっても、特許は「従業者」に帰属します。

 
「発明報奨制度」はなく、自由な取り決めが可能とされています。

 

(小括)
職務発明において日系企業が懸念する事項の一つは、職務発明についての「報酬(報酬額)の取り決め」になるだろうと考えます。この点においては、上記6カ国において実際に従業者との間で報酬額について争われた「判例」は確認されていません(詳細は、後述の通り)。特に、東南アジアでは、シンガポールのように発明報奨制度が規定されていない国が多いです(発明報奨制度が規定されている国は、タイ、インドネシア及びベトナムになります)。

 
一方で、職務発明規定を整備するにあたって、他国とのバランスを考慮するならば、日本と同じ職務発明規定に基づいて日本と同様に支払うことも一案と考えられます。例えば、インドネシア駐在の日本人が発明した場合の報酬額をどう設定するか、日本人とインドネシア人で差を設けた場合の合理的な説明が可能か、といったことにも柔軟に対応可能となると思われます。

 

なお、日本では、労働政策研究・研修機構による調査(2006)によると、一般に「出願時報奨金」、「登録時報奨金」、「実績報奨金」の3段階で支払われ、これら報奨金の相場は、「出願時」平均8,977円、「登録時」平均22,588円、「実績報奨金」発明実績に応じて変動する、との報告がなされています。

 

3.職務発明に関する判例について

次に、職務発明の報酬について争われた「判例」が存在するかについて、現地代理人に下記ヒアリングを行いましたので報告します(各国2カ所以上の現地事務所にヒアリング)。

 

Q1:職務発明において従業者に支払う報酬額(対価)について争われた判例があるか?
Q2:職務発明に関して報酬額以外の目的で従業者が使用者と争った判例があるか?

 

ヒアリングの結果※2、アセアン主要6カ国において、現状、従業員への報酬額が争われた判例はないことが分かりました。

 

一方で、従業員が職務発明に関して報酬額以外の目的で使用者と争った判例については、タイ、インドネシア及びマレーシアであることが分かりました。

 
具体的には、タイでは、国立大学の教授は公務員であって国立大学の従業員ではないこと、そのため職務発明における従業員への報酬は存在しないというものでした。

 
また、インドネシア、マレーシアではいずれも、原告会社の従業員であった被告が、自身が発明者となった特許出願(特許)を原告会社の退職後に無断で実施したことで、原告会社と争いになったものでした。当該特許出願(特許)は、職務発明に基づく特許出願であると認められ、被告は当該特許出願(特許)に基づく発明を実施する権限を有してないというものでした。

 

4.最後に

現状、職務発明に関して争われた事例、判例は非常に少ないものの、現地で生まれた発明(意匠)について特許出願(意匠出願)がなされた件数は徐々に増えており、今後、職務発明に関して従業員への報酬額が争われる事例、判例が出てくるものと思われます。

 
日本企業におかれては、現地の法律、規則に照らし合わせて職務発明(職務意匠)や営業秘密といった知的財産管理、社内規定を整備しておくことをお勧めします。

 
また、日本企業(特に中小企業、スタートアップ企業)をサポートする特許事務所・法律事務所におかれでは、クライアント企業のアセアン進出にあたってこのような知財管理、社内規定の整備を支援できるように、現地の情報収集そして現地代理人との連携を密にしておくことをお勧めします。

 

なお、ジェトロHPにアセアンの職務発明・発明報奨に関する調査報告(シンガポール・マレーシアタイ・インドネシア・ベトナム)、職務発明契約書のサンプルが挙げられています。こちらもご参考にしてください。

 

※2:ヒアリング結果の詳細

<タイ>
A1:公的な資料に照らし合わせると、従業員への報酬額が争われた判例はない。

 
A2:従業員が職務発明に関して報酬額以外の目的で使用者と争った判例もない
なお、同様の問題について最高裁判決がある。当該判決では、国立大学にて研究を行っていた教授は、大学の職員ではなくタイ政府の公務員であり、したがって、研究に基づく発明者ではなく、国立大学に譲渡する権利を有していない、と判断された。また、国立大学の教授は、従業員にも該当しないため、職務発明に関する法定報酬を受け取る権利もないと判断された。

 
<インドネシア>
A1:最高裁判所判決オンラインディレクトリーを検索したところ、発明者である従業員への報酬(補償金)支払いに関する判決はない。ただし、全判決がアップロードされているわけではない点、ご留意頂きたい。
 

A2:特許権者と発明者に関する事件が1件存在する。当該事件は、2008年にPT Superdry Indonesiaを原告とし、PT Indonesian Container Desiccantを被告I、Lars Mikael Thordenを被告IIとして争われたものである。
(Supreme Court Decision Number 581 K/Pdt.Sus/2008 dated 10 December 2008)
 原告は「強化型スーパードライヤー用具」ID0019714号の特許権者であり、被告IIは同号の発明者の一人として登録され、原告の会社で取締役を務めていた。
 本件は、被告IIが、在職中に自己の名義で「強化型スーパードライヤー用具」の発明について特許出願をしていることを原告が発見したことから始まった。被告IIは、原告会社を退職後、PT Indonesian Container Desiccant (被告I)を設立し、本件発明の範囲に属する「吸湿具」を製造、販売、輸出していた。
 原告は、被告IIに対し、(1)本件発明の所有権及び(2)発明者の一人としての被告 IIの抹消を求めて提訴した。また原告は、(3)被告Iに対し本件特許に基づく商品を製造、販売及び輸出したことによる侵害を理由として訴えた。商務裁判所は、原告の請求を一部認容し、(1)原告が「強化型スーパードライヤー用具」の特許第ID0019714号の正当な権利者であることを宣言し、(3)被告Iに対し本件特許を侵害する「湿度吸収具」の製造、使用、販売及び輸出の差し止めを命じた。一方で、裁判所は、(2)被告IIが本件特許の発明者の一人であると判断した。

 
<ベトナム>
A1:発明者である従業員に支払われる報酬額について争われた判例はない。


A2:従業員が職務発明に関して報酬額以外の目的で使用者と争った判例について聞いたことがない。


<マレーシア>
A1:職務発明に対し従業員に支払う報酬額を決定する際に考慮すべきガイドラインや考慮事項について確立された判例はない

(従業員は、通常、職務発明に対し報酬を受ける権利を有しない。)
 

A2:従業員が職務発明に関して報酬額以外の目的で使用者と争った判例が1件ある。Soon Seng Palm Oil Mill (Gemas) Sdn Bhd & Ors v Jang Kim Luang @ Yeo Kim Luang & Ors [2011] 9 MLJ 496 では、原告(雇用者)は、被告が原告の発明を被告の自己使用のために不正利用・転用し、雇用契約に違反したと主張する事件であった。
 一人目の被告は、元取締役であって原告(雇用者)の家族の元妻であった。一人目の被告は、原告の会社を退職した後、原告が主張する発明を、被告が取締役在任中に知り得た秘密情報を入手したことにより開発されたとする複数の特許及び実用新案の出願を行った。
 被告は、原告との雇用関係は、法的意図を欠いた便宜的な家族間の取り決めであって、発明は原告からの秘密情報を利用しない独立した発明であるから、信義則上の義務違反はないと主張した。
 一審判決では、被告は従業員であり、原告との間に雇用契約を締結していたこと、その職務遂行において本件発明がもたらされたと判断された。したがって、被告の雇用から生まれた発明は、原告(使用者)に帰属するものと判断された。なお、雇用契約には、被告が発明の所有権を主張できるような反対意見は存在しなかった。

  
<シンガポール>
A1:発明者である従業員に支払われる報酬額について争われた判例はない。

 
A2:従業員が職務発明に関して報酬額以外の目的で使用者と争った判例について承知していない。
 

<フィリピン>
A1:職務発明者への報酬支払に関する紛争について、最高裁判所又はフィリピン知財庁が決定した判決又は判例はない。
そのような紛争があったとしても、契約法や雇用契約に関わる問題として扱われ、下級審のレベルで最終的に決定・解決され、最高裁判所には至らない可能性が高い。
 

A2:職務発明に関する紛争について、最高裁判所又はフィリピン知財庁が決定した判決又は判例はない。

 

石川 勇介(弁理士、元ジェトロ・バンコク事務所)

専門分野:特許権利化実務(化学/材料/機械/ソフトウェア/ビジネスモデル)、特許調査

 

秋山国際特許商標事務所 https://www.tectra.jp/akiyama-patent/