一行記載と引用発明の認定(新規性・進歩性)

こんにちは、知財実務情報Lab. 専門家チームの高石 秀樹(弁護士・弁理士、中村合同特許法律事務所)です。

新規性・進歩性を否定するための公知文献記載の主引例は、「発明」である必要がある(特許法29条1項3号)。(なお、ピリミジン大合議判決(知財高判平成28年(行ケ)10182、10184号)によれば、副引例も「発明」である必要があるが、同大合議判決後の審判決を見ても、副引例を「発明」でなく「事項」と称するものが多数である。)

 

したがって、少なくとも文献公知による主引例は「発明」である必要があるから、特許法36条4項の実施可能要件を満たす必要まではないとしても、特許法29条1項の「発明」として当業者が理解できる必要があり、いわゆる一行記載は引用発明として認められない。(引用文献に「どこでもドア」が記載されていても、特許を取得できるだろう。引用発明が発明として完成していなくても、発明として当業者が理解できれば引用発明適格があるとした裁判例がある(東京高判平成12年(行ケ)第315号)。

 

今回は、特定のリン酸塩が特許出願により製造可能となったから充足であるが、出願日前は当業者が思考や試行錯誤なく製造可能でなかったから、公知文献に当該特定のリン酸塩が文字として記載されていても引用発明として認められず、新規性・進歩性〇と判断された(特許権者勝訴)、東京地判令和4年(ワ)第9716号【5-アミノレブリン酸リン酸塩】について考察するとともに、新規性・進歩性判断時の“一行記載と引用発明の認定”という論点に関する裁判例を紹介する。

 

 

なお、筆者は引用発明の認定という重要論点については、以下の3つの動画をリリースしているので紹介する。

進歩性の全論点

<引用発明の認定>公報の図面から引用発明を読み取れるか?(形状、大小関係、位置関係、寸法、配列、方向、存在)

明細書中の「本件発明の趣旨を逸脱しない範囲で種々変更可能である」という記載と、進歩性判断

 

 

東京地判令和4年(ワ)第9716号【5-アミノレブリン酸リン酸塩】<柴田裁判長>

※進歩性〇(充足論も〇、特許権者勝訴)

『…乙16文献から乙18文献までにおいて、5-アミノレブリン酸単体を得る技術が開示されているとはいえない。これに加え、…本件引用例においても「5-ALAは…化学的にきわめて不安定な物質である」、「5-ALAHClの酸性水溶液のみが充分に安定であると示される」と記載されていて(【0007】)、これらの事項が本件優先日当時の技術常識であったと認められることも考慮すると、本件優先日当時において、5-アミノレブリン酸単体を得る技術が周知であったとは認められない。
 

この点に関し、原告は、5-アミノレブリン酸リン酸塩を製造する上で、5-ALAが物質として取り出されている必要はなく、発酵液中に培地成分等と混合した状態であってもよい旨主張する。しかしながら、本件優先日当時、種々の成分を含む混合液に酸又は塩基を添加するという方法が、化合物である塩の製造方法として技術常識であったとは認められないことからすれば、本件引用例に接した本件優先日当時の当業者が、化合物である5-アミノレブリン酸リン酸塩を製造する方法として、培地成分等と混合した状態で5-アミノレブリン酸が存在する発酵液にリン酸を添加する方法(又はこの発酵液をリン酸溶液に添加する方法)を、思考や試行錯誤等の創作能力を発揮することなく見出すことができたとはいえない。また、…乙17文献において、培地に酵母抽出物やトリプトン等が含まれることが記載されていることからも明らかなように、培地成分等と混合した状態にある発酵液には種々のイオンが夾雑物として含まれているのであるから、このような発酵液にリン酸を添加したとしても、等しい物質量の酸及び塩基の中和反応によって5-アミノレブリン酸リン酸塩という化合物が製造されたと評価することはできない…。…そして、このほか、本件優先日当時の当業者が、5-ALAホスフェートの製造方法その他の入手方法を見出すことができたというべき事情は存しない。…
 

以上によれば、本件引用例に接した本件優先日当時の当業者が、思考や試行錯誤等の創作能力を発揮するまでもなく、本件優先日当時の技術常識に基づいて、5-ALAホスフェートの製造方法その他の入手方法を見出すことができたとはいえない。したがって、本件引用例から5-ALAホスフェートを引用発明として認定することはできない。』

(※「5-ALAホスフェート」=「5-アミノレブリン酸リン酸塩」)

 

本判決は、新規性判断の冒頭において「本件優先日当時において、5-アミノレブリン酸単体を得る技術が周知であったとは認められない。」と判示しており、充足論と矛盾するかと早とちりしそうであるが、新規性判断に関する判示を読み進めると「5-アミノレブリン酸リン酸塩という化合物が製造されたと評価することはできない」と判示しており、本件優先日当時、本件発明の新規化合物を製造することを当業者が試行錯誤なく実施可能でなかったことを理由に、新規性・進歩性を認めたものである。

 
本事案においては、引用文献中に物質名(本件発明の5-アミノレブリン酸リン酸塩)が記載されていたが、本件優先日当時の当業者が試行錯誤なく実施可能ではなかったとして、当該引用文献の開示が認められない、あるいは、引用発明適格が否定された。
 

本判決のみならず、多数の裁判例においても、引用文献中に引用発明の開示が認められるためには、引用文献の開示から技術常識に基づいて、本件発明の構成等を当業者が試行錯誤なく実施可能である必要があるとされている。本事案に即して言えば、少なくとも、混合物として『5-アミノレブリン酸リン酸塩』を当業者が試行錯誤なく製造可能であった必要がある。
 

しかしながら、本件優先日当時の技術水準では、単離することが困難であったのみならず、混合物としても5-アミノレブリン酸「リン酸塩」を製造することが困難であったため、引用文献中に物質名が記載されていたにもかかわらず、新規性・進歩性が認められたものである。本事案のように、公知文献中に本件発明の化合物が文字として記載されていても、優先日当時の技術水準において当業者が試行錯誤なく製造可能でなかったという反論が有り得ることを常に念頭に置くべきであろう。

 
そうすると、本判決は、充足論と無効論とで矛盾はなく、出願日(優先日)の技術水準では当業者が本件発明の化合物を試行錯誤なく製造可能でなかったが、本件特許明細書の開示により(そうでなければ実施可能要件・サポート要件の問題がある)、侵害時の当業者は本件発明の化合物を試行錯誤なく製造可能であるから充足と判断されたものである。

 
このような状況は、均等論第3要件に通ずるものがある。すなわち、均等論第3要件は製造時の容易遂行性であるところ、出願日にはイ号製品が容易遂行でなかったが(そうでなければ均等論第4要件を満たさない)、製造時には容易遂行となっていた場合に成立するものであり、出願時と製造時とで容易遂行性が変化したことによるものである。

 
但し、本判決を含めた多数裁判例が採る一般論に従えば、公知文献中に化合物名が記載されていても出願日(優先日)の技術水準では当業者が本件発明の化合物を試行錯誤なく製造可能であったことを立証できない限り新規性・進歩性は直ちには否定されないところ、初めて特定の化合物を混合物に含まれる形で製造することに成功した者は、単離しなくても特許権が付与され、出願後に当該化合物を含む混合物を実施するものに対し権利行使できることとなる。本件発明のように、5-アミノレブリン酸は公知であり、それを「リン酸塩」にしたという新規物質であり、しかも、「5-アミノレブリン酸リン酸塩」という化合物自体は公知文献に明記されていた以上、「リン酸塩」を初めて製造できたことに技術的意義が認められる発明において、製造方法の発明でなく、物の発明として特許権が与えられることがバランスを失しないか、発明者が現実に発明した製造方法以外でも当該化合物を含む混合物を製造等した被疑侵害者に対し権利行使できることでよいのかという点は、議論が有り得るところである。

 
この点については、さらに、下掲・知財高判平成19年(行ケ)第10378号【結晶性アジスロマイシン2水和物】のように、事実として出願日に本件発明と同一の物が存在していたが、当業者が引用文献に本件発明と同一の物が記載されていると理解できなかったという場合に新規性・進歩性が認められた事案においては、換言すれば、事実としては新規物質ではなく、発明者が当該物質に初めて気付いたという場合に、物の発明として特許権が与えられることがバランスを失しないか、従来技術(=当該物質に誰も気付いていなかったが事実として当該物質が含まれていた物)を引き続き製造販売している被疑侵害者に対し権利行使できることでよいのかという点は、パブリックドメインとの関係で、議論が有る。

  

< 関連裁判例の紹介 >

東京高判平成8年(行ケ)136【新規ペプチド】

拒絶審決⇒審決取消(*引用発明の適格性×)

一般的に化合物が引用例に記載されていると認められるには、その化合物が現実に提供されることが必要であり、単に化学構造式や製造法を示して理論上の製造可能性を明らかにしただけでは足りず、化合物が実際に確認できるものであることが必要であるところ、引用例には、…であるモチリン誘導体(本願モチリン)の製造法についての開示がなされておらず、また、融点の表示その他これが現実に製造されたことを示す根拠も記載されていない。」

 

 

知財高判平成21年(行ケ)10180【4-アミノ-1-ヒドロキシブチリデン-1,1-ビスホスホン酸又はその塩の製造方法及び前記酸の特定の塩】

拒絶審決⇒審決取消(*引用発明の適格性×)

*”引用発明の適格性”として,実施可能であることが必要。(H16(行ケ)259同旨)(H24(行ケ)10134同旨)
⇒学会発表要旨集の一行記載について、引用発明の適格性が否定された事例。

*実験証明書は優先日当時の技術常識でない知見に拠っている。

『本件…3水和物が新規の化学物質であること,甲7文献には,本件3水和物と同等の有機化合物の化学式が記載されているものの,その製造方法について記載も示唆もされていないこと,以上の点については…審決も認めるところである。
 

そこで,このような場合,甲7文献が,特許法29条2項適用の前提となる29条1項3号記載の「刊行物」に該当するかどうかがまず問題となる。ところで,特許法29条1項は,同項3号の「特許出願前に‥‥頒布された刊行物に記載された発明」については特許を受けることができないと規定するものであるところ,上記「刊行物」に「物の発明」が記載されているというためには,同刊行物に当該物の発明の構成が開示されていることを要することはいうまでもないが,発明が技術的思想の創作であること(同法2条1項参照)にかんがみれば,当該刊行物に接した当業者が,思考や試行錯誤等の創作能力を発揮するまでもなく,特許出願時の技術常識に基づいてその技術的思想を実施し得る程度に,当該発明の技術的思想が開示されていることを要するものというべきである。特に,当該物が,新規の化学物質である場合には,新規の化学物質は製造方法その他の入手方法を見出すことが困難であることが少なくないから,刊行物にその技術的思想が開示されているというためには,一般に,当該物質の構成が開示されていることに止まらず,その製造方法を理解し得る程度の記載があることを要するというべきである。そして,刊行物に製造方法を理解し得る程度の記載がない場合には,当該刊行物に接した当業者が,思考や試行錯誤等の創作能力を発揮するまでもなく,特許出願時の技術常識に基づいてその製造方法その他の入手方法を見いだすことができることが必要である…。
 

本件については,…甲7文献には製造方法を理解し得る程度の記載があるとはいえないから,上記…の判断基準に従い,甲7文献が特許法29条1項3号の「刊行物」に該当するというためには,甲7文献に接した当業者が,思考や試行錯誤等の創作能力を発揮するまでもなく,特許出願時の技術常識に基づいて本件3水和物の製造方法その他の入手方法を見いだすことができることが必要である…。…本件においては,本件出願当時,そのような技術常識が存在したと認めることはできない…。』

 

 

知財高判平成19年(行ケ)第10120号【結晶性アジスロマイシン2水和物】<田中裁判長>

*一行記載について、引用発明の適格性が否定された事例

『…特許法29条1項は,同項3号の「特許出願前に…頒布された刊行物に記載された発明」については,特許を受けることができないと規定するものであるところ,上記「刊行物」に「物の発明」が記載されているというためには,…刊行物に接した当業者が,特別の思考を経ることなく,容易にその技術的思想を実施し得る程度に,当該発明の技術的思想が開示されていることを要するものというべきである。そして,当該物が,例えば新規の化学物質である場合には,新規の化学物質は,一般に製造方法その他の入手方法を見出すことが困難であることが少なくないから,刊行物にその技術的思想が開示されているというために,製造方法を理解し得る程度の記載があることを要することもあるといわなければならない。』

 

 

知財高判平成19年(行ケ)第10378号【結晶性アジスロマイシン2水和物】<田中裁判長>

*新規物質に関する特許法29条1項3号の適用は,優先日に引用文献に本件発明と同一の物が記載されていると理解できたか否かが問題であり,本件発明と同一の物が本件優先日前に存在したか否かが問題となるものではない。

*引用文献の追試も否定した事例である

*追試による新規性を判断した事例は多数存在する。
ex)平成7年(行ケ)205「エチレン重合体事件」(知財管理2010.4号「物性で特定された発明の新規性」参照)

=H19(行ケ)10120「結晶性アジスロマイシン2水和物」(結晶性アジスロマイシン1水和物からの進歩性)

【請求項1】 結晶性アジスロマイシン2水和物
(1)特許法29条1項は,同項3号の「特許出願前に…頒布された刊行物に記載された発明」については,特許を受けることができないと規定するものであるところ,上記「刊行物」に「物の発明」が記載されているというためには,まず,同刊行物に当該物の発明の構成が開示されていることが必要であり,また,発明が技術的思想の創作であること(同法2条1項参照)にかんがみれば,当該物の発明の構成が開示されていることに止まらず,当該「刊行物」に接した当業者が,特別の思考を経ることなく,容易にその技術的思想を実施し得る程度に,当該発明の技術的思想が開示されていることを要するものというべきである。そして,当業者が,特別の思考を経ることなく,容易にその技術的思想を実施し得る程度に,当該発明の技術的思想が開示されていることを要するという点は,「刊行物」に記載されている「物の発明」が,新規の化学物質の発明である場合と,公知の化学物質の発明である場合とを問わず,何ら変わりがない。ただ,それが公知の化学物質である場合には,先行技術文献の記載や技術常識等により,当該「刊行物」自体に当該化学物質の製造方法その他の入手方法が記載されていなくとも,当業者がその入手方法を理解し得ることが多いのに対し,新規の化学物質の場合には,一般に製造方法その他の入手方法を見出すことが困難であることが少なくないから,当該「刊行物」にその技術的思想が開示されているというために,製造方法を理解し得る程度の記載があることを要する場合が少なくないということができる。新規の化学物質と公知の化学物質とで,「刊行物」に記載されているというために必要な記載内容(特に製造方法の記載の要否)が異なるように説明されることがあるのは,この点に由来するものである。
 

…本件において,アジスロマイシンと称される物質自体は公知であったとしても,アジスロマイシン分子一つに対し,水分子二つが分子間力により特定の位置関係を保持し,2水和物という結晶構造を形成したものが,少なくとも,甲第2号証の頒布前に公知でなかった…から,甲第2号証にアジスロマイシン2水和物が記載されているかどうかについての判断を,一般の公知の化学物質と同様に(すなわち,甲第2号証自体にアジスロマイシン2水和物の製造方法その他の入手方法が記載されていなくとも,当業者が,先行技術文献の記載や技術常識等により,その入手方法を理解し得るものとして)行うことができないことは明らかである。すなわち,アジスロマイシン2水和物は,かかる意味で,新規の化学物質として扱うことを要するものである。
 

…なお,原告の引用する東京高裁平成3年10月1日判決は,一対の光学異性体(光学的対掌体)から成るラセミ化合物(ラセミ体)である(R,S)α-シアノ-3-フェノキシベンジルアルコールが引用例に開示されている場合に,同ラセミ体を形成する一対の光学異性体の一方である(S)α-シアノ-3-フェノキシベンジルアルコールの発明が,同引用例に記載されているというべきであるとした審決の認定判断を是認したものであるが,ラセミ体については同発明に係る特許出願前から種々のラセミ分割(光学分割)の方法が行われていたことが当業者にとって技術常識であったという事態を踏まえた判断であるから,物の発明について特許法29条1項3号に当たるとするために,刊行物に当該物の製造方法が記載されている必要がおよそないとしたものということはできない。

 
(2)ところで,上記(1)のとおり,特許法29条1項3号所定の「刊行物」に「物の発明」が記載されているというためには,同刊行物に当該発明の技術的思想が開示されていることを要するという以前に,まず,当該物の発明の構成が開示されていることが必要である。

 

…甲第2号証には,得られた結晶(結晶A)がアジスロマイシン2水和物であることはもとより,アジスロマイシンの水和物であることについても,明示的な記載がないことは明らかであり,また,同号証に「結晶学的データ」として記載された物性に関するデータも,その記載のみによって,結晶Aがアジスロマイシン2水和物であることが容易に知れるというものではない。かえって,弁論の全趣旨によれば,同「結晶学的データ」の欄の冒頭に記載された分子式「C38H72012N2」及び分子量748(Mr=748g/mol)は,いずれもアジスロマイシン無水物に関するものである…。
 

…原告は,甲第2号証に記載された上記結晶Aの格子定数が,甲第3,第4号証に,それぞれアジスロマイシン2水和物の格子定数として記載された数値と一致するのであるから,甲第2号証に記載された結晶Aがアジスロマイシン2水和物と特定される旨主張する。しかしながら,甲第2号証に「アジスロマイシン2水和物の構成」が開示されているといえるかどうかは,甲第2号証が特許法29条1項3号所定の刊行物に当たるかどうかという問題に係るものであって,同項の規定上,甲第2号証が同号所定の刊行物に当たるというためには,特許出願前(…本件優先日…前)における当業者の技術常識ないし技術水準を基礎として,甲第2号証記載の結晶Aが結晶性アジスロマイシン2水和物であると容易に知ることができたことを要する…。しかるに,甲第3号証…,甲第4号証は,…いずれも,本件優先日の後に頒布された刊行物である…。したがって,これらの刊行物に記載された知見は,本件優先日当時の当業者の技術常識ないし技術水準を構成するものではなく,仮に,これらの刊行物の記載を参酌することにより,当業者において甲第2号証記載の結晶Aが結晶性アジスロマイシン2水和物であると容易に知ることができたとしても,本件特許出願との関係で,甲第2号証が特許法29条1項3号所定の刊行物であるとすることはできない。
 

原告は,甲第3,第4号証は,甲第2号証に記載された結晶Aが2水和物であるという事実を確認するために用いるにすぎないものであるから,甲第3,第4号証自体が,本件優先日後に頒布された刊行物であることは問題とならないと主張する。しかしながら,上記のとおり,甲第2号証が特許法29条1項3号所定の刊行物に当たるというためには,本件優先日…前における当業者の技術常識ないし技術水準を基礎として,甲第2号証記載の結晶Aが結晶性アジスロマイシン2水和物であると容易に知ることができたことを要するものであり,本件優先日後の技術常識ないし技術水準を基礎とすることにより,甲第2号証記載の結晶Aは結晶性アジスロマイシン2水和物であったことが初めて理解されるというにすぎない場合には,甲第2号証は同号所定の刊行物に当たるということはできない。そして,甲第2号証以外の刊行物である甲第3,第4号証は,その記載に係る知見が,当業者の技術常識ないし技術水準を構成する可能性があるというものにすぎないから,それらが本件優先日後に頒布された刊行物であり,その知見が本件優先日当時の当業者の技術常識ないし技術水準を構成するものに当たらない以上,本件特許出願との関係で,甲第2号証が同号所定の刊行物に当たるか否かについての判断に影響を及ぼすものということはできない。
 

また,原告は,特許法29条1項3号の適用においては,本件発明と同一の物が本件優先日前に存在したか否かが問題となるのであって,その事実が,本件優先日後に頒布された刊行物を参照することにより左右されるものではないと主張するが,同号の適用については,本件優先日前において,甲第2号証に本件発明と同一の物が記載されていると理解できたかどうかが問題となるのであって,本件発明と同一の物が本件優先日前に存在したか否かが問題となるものではない。
 

甲第7号証の追試及び甲第17号証の追試は,いずれも甲第2号証記載の結晶Aの製造方法についての追試と認めることはできず,他に,本件優先日当時における当業者の技術常識ないし技術水準に基づいて,甲第2号証の結晶Aの製造方法に関する記載から実際に結晶Aを製造することが可能である(甲第2号証の結晶Aの製造方法が追試可能である)と認めるに足りる証拠もない。…甲第2号証が,本件優先日当時において,製造方法によりアジスロマイシン2水和物という物そのものを特定していたと認めることもできない。

 

 

知財高判平成22年(行ケ)第10029号【…Bリンパ芽腫細胞系】

*引用文献に記載された細胞系が入手不可。⇒記載なし

『本願優先日前,A 博士(及び共同研究者)は,L612細胞系につき,第三者から分譲を要求されても,同要求に応じる意思はなかったものと認められ,その結果,L612細胞系は,第三者にとって入手可能ではなかったことになり,「引用例1,2に記載されるL612細胞系は,第三者から分譲を請求された場合には,分譲され得る状態にあったものと推定することができる」とした審決の認定判断は誤りであって,同誤りが審決の結論に影響を及ぼすおそれがある…。』

 

 

知財高判平成17年(行ケ)第10445号【非水電解液二次電池】

*引用例の認定につき一行記載であるから記載無しとした。

Cf.H22(行ケ)10324

『…原告は,甲1の「・・・・電池の構造としては・・・・正極,負極,更に要すればセパレーターをロール状に巻いた円筒状電池等の形態が一例として挙げられる。」との記載に基づいて,甲1には,帯状の正極集電体と負極集電体とをセパレータを介して積層した状態で多数回巻回した渦巻型の二次電池の構造が記載されているから,この点を本件発明と甲1発明との一致点として認定すべきであるにもかかわらず,これを看過し,相違点イとして認定した審決は誤りであ…ると主張する…。…
 

しかし,発明の進歩性を判断する前提として認定されるべき「刊行物に記載された発明」(特許法29条2項,1項3号)とは,刊行物に記載されている事項及び記載されているに等しい事項から把握される発明をいうものであり,また,ここにいう「記載されているに等しい事項」とは,刊行物に明示的に記載されている事項から,当業者(その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者)が,特許出願時における技術常識を参酌することにより,導き出すことのできる事項をいうものである。
 

これを甲1の記載についてみると,原告が引用する上記記載は,発明の詳細な説明中の「問題点を解決するための手段及び作用」の項の末尾部分の記載であり,「更に要すれば」,「電池の構造としては,特に限定されるものでないが」,「一例として挙げられる」との記載から明らかなように,特許請求の範囲に記載された二次電池の発明を実施する場合に適用可能な電池の構造ないし形態を単に例示したにとどまるものであって,具体的な実施態様を開示したものとは認められない。換言すると,甲1には,特許請求の範囲に記載された複合酸化物等を活物質とする円筒状電池の開示はあるということはできるとしても,そのような円筒状電池における電極の具体的な形態(短冊状ではなく帯状のものか,それ以外の形態があり得るのかなど)や,活物質の具体的な形成態様(両面に形成されているか,正極及び負極のそれぞれの膜厚がどのような範囲にあり,膜厚の比や和がどのような関係にあるかなど)を示唆する記載は一切ないのである。また,本件の証拠を総合しても,甲1の特許請求の範囲に記載された複合酸化物等を活物質とする円筒状電池において,電極を帯状のものとすること,活物質を両面に塗布すること,膜厚を一定範囲のものとすることが本件特許出願時における技術常識であったとは認められない。そうすると,技術常識を参酌したとしても,原告が本件発明と甲1発明との一致点であると認定されるべきであるとする構成…(帯状の正極集電体及び負極集電体が渦巻型の巻回体を構成するもの)を備えた二次電池が甲1に記載されているとみることはできない。…。』

 

 

知財高判平成24年(行ケ)第10233号【抗菌性ガラス】

*一行記載について、引用発明の適格性が否定された事例。

『…被告は,引用例1の発明の詳細な説明中に「本発明で使用する溶解性ガラスは,硼珪酸塩系及び燐酸塩系の内,少なくとも1種類である」(段落【0006】)との記載があることを根拠として,引用例1に硼珪酸塩系ガラスが開示されていると主張する。しかし,…引用例1の請求項1では,溶解性ガラスを燐酸塩系ガラスに限定している以上,上記記載から,硼珪酸塩系ガラスが示されていると認定することはできない…。引用例1には,引用例1に先立つ従来技術として,乙1文献が挙げられており…,同文献には,水溶性ガラスとして,硼珪酸塩系ガラスと燐酸塩系ガラスの両者が記載されているが,そのような文脈を根拠として,溶解性ガラスを燐酸塩系ガラスに限定した引用例1発明の「溶解性ガラス」について,硼珪酸塩系ガラスと燐酸塩系ガラスの両者を共に含むと理解することは無理があり,採用できない。』

  

 

高石 秀樹(弁護士/弁理士/米国CAL弁護士、PatentAgent試験合格)

    
中村合同特許法律事務所:https://nakapat.gr.jp/ja/professionals/hideki-takaishimr/