
こんにちは、知財実務情報Lab. 専門家チームの田中 研二(弁理士)です。
今回は少し趣向を変えて、化学系の明細書作成を長年手掛けてこられた高橋政治先生と、実務上の論点についてお話しして、その内容を再構成した記事を作ってみました。
今回のテーマは「少ない実施例から明細書を書く方法」です。
特に化学系の国内案件では、実施例が1個2個しかないという場面は少なくありません。このような案件にどう対応するのがよいか、今回(前編)は発明ヒアリング、後編は明細書作成~権利化についてお聞きしました。
1.実施例が少ない場合の悩み
田中:高橋先生、以前からXなどで「実施例の追加を要求したことがない」とおっしゃっていますよね。あの話をぜひ伺いたくて。化学系の国内案件だと、実施例が2個とか、なんなら1個くらいで依頼されることって割とありますよね。
高橋先生(以下敬称略):ありますね。
田中:たとえば実施例1個・比較例1個で、パラメータを1つしか振っていない。ある化合物を入れるか入れないかだけを変えて、入れたほうがいいですよ、というデータしかない。そうすると、その化合物が入っていればいい、という逆にめちゃくちゃ広いクレームができてしまうんですよね。
高橋:そうですね。
田中:ただ一方で、先行文献調査をちゃんとやっておかないと、たまたま新規性を否定する文献が見つかったら、落としどころがなくなりかねない。だから、実施例と比較例で切っている軸以外の軸をいろいろ仕込んでおきたいんですけど、そこを振った実施例がないのでなかなか入れにくいなあ、と。
高橋:うんうん。
田中:あとは、実施例が1個だけだと数値の広がりも作りにくいですよね。たとえば数値範囲の両端でそれぞれ実施例と比較例が用意されていればその数値範囲の意義を主張しやすくなりますけど、実施例1個だとそういう話にもならない。そういうときに、このデータだけだとここまでしか権利は取れないかもだけどいいですか?という説明をされているのか、それともデータは少ないけれど明細書の記載で広げる工夫をされているのか。その辺りもぜひ伺いたいです。
2.未提出データを確認する
田中:そもそも、実施例が1個の案件でも追加の実験はお願いされないんでしょうか。
高橋:もっと実施例を作ってください、とは言わないですね。ただ、発明者さんがデータを隠し持っていることがまあまああるんですよ。「これ、実施例1個だけですか?」と聞くと、「いや、近いのはもうちょっとあるんですけど、いい結果が出たのがこのデータなので」と。だったら、今から実験しなくていいのでそれも出しましょう、と。
田中:追加実験ではなく、すでにあるものを出してもらう、と。
高橋:そうです。
3.発明者から聞き出して想定実施例を作る
高橋:あとは聞き出し方ですね。「実施例は添加量が5%ですけど、1%だったらどうですかね」「10%くらいならどうですか」と聞いていく。「10%はダメだけど、9%ならいけると思う」と言われたら、「9%だと結果はどれくらい変わりますか」と聞く。「だいたいこれくらいかな」と返ってくれば、実施例2になるじゃないですか。
田中:それは、いわゆる想定実施例(ペーパーイグザンプル)でしょうか?
高橋:はい。想定実施例を作るかどうかは、発明者の意欲や能力にも結構寄ってくるんですよ。発明者が「こういう観点もあり得るから、この辺りだったらいいと思っているんです」と言ったとして、本当に強くそう思っているのなら、じゃあ想定実施例を1個作りますか、という話にもなりますよね。現場の発明者がそう思っているということは、実際そういう結果が出る可能性が高いということですよね。
4.想定実施例のデメリットは小さい
田中:私は想定実施例を使ったことがないのですが、実際どう扱われるのでしょうか?
高橋:想定実施例は「実際にやっていない想定のものだからダメです」という判定にはならないので、実際にやった実施例と同じ扱いです。だから理屈のうえでは、実施例1個のままより、想定実施例があったほうが広い特許が取れる可能性は高い。もちろん、「やってないことは書きたくない」という発明者もいらっしゃいます。やってもいないものを書きたくない、というのは真摯な姿勢であって、もちろんそれを否定することはないです。
田中:逆に、想定実施例を入れることによるデメリットはありますか?
高橋:想定実施例を書いたときのデメリットって、実はそんなにないんですよ。間違っていたときに使えない、というだけの話で。なんなら、間違っていたら補正で消せばいい。ただ、今までの経験上、消せなかったことはほぼなかったのですが、最近、比較例を削除する補正を許してもらえなかった事例もありました。
田中:なるほど。比較例を削除するのと、想定実施例を削除するのとで違いはあると思いますか?
高橋:普通に考えればないと思います。補正には遡及効があり、それは明細書に書いてある文字すべてに及ぶ話ですから、実施例でも想定実施例でも比較例でも参考例でも、変わらないはずです。なので、都合が悪くなったらこうした実施例や比較例を消してしまうというのは一つのやり方ではあります。
田中:最終的に消す補正が認められるかどうかは、ケースバイケースということになりそうですね。
5.国内優先について
田中:国内優先で後からデータを追加する、という場合もありますね。
高橋:それをやることもありますが、実際には出願時に国内優先で補充と言っていたものの多くは補充してくれないんですよ。「データは1年の間に揃えます」と言っても、揃わなくて。だから、あんまりそこも期待できない。明細書を書くときは、多分これ以上実施例は出ないだろう、出ないこと前提で書いていかないとダメかなという感じはしますね。
6.引き出せなければ諦める
高橋:そうすると、結局のところ実施例が少ないことへの対応はケースバイケースで、発明者から引き出せるものを書く。何も引き出せないなら諦める。ということかなと思っています。
田中:諦めるというのは、一つの実施例だけで広げられる範囲まで取るように書く、ということですか?
高橋:はい。できるだけ広い範囲にはするんだけど、最終的にはそれなりに狭くなりますよね。なので、狭い特許権になる可能性があることをご納得いただいたうえで出願する、ということになります。
田中:ありがとうございます。ここまでの話をまとめると、追加実験をお願いせずに我々がやれることとしては、
- 未提出のデータで使えるものがあれば、追加の実施例とする。
- 想定実施例を追加する。
- 何も引き出せなければ、目の前にある実施例だけで書く。
ということになりそうですね。
7.まとめ
- 実施例が少ないときは、発明者から引き出せるものを書くこと。引き出せないなら、狭い権利になり得ることを発明者に納得してもらったうえで出願する。
- 引き出す対象は、主に未提出のデータ(性能が少し落ちるものの発明の範囲に含まれるデータなど)と発明者の見立て(発明者の予測を聞き出し、想定実施例にする)の2つ。
- 想定実施例は、実際に行った実施例と同じ扱い。「想定実施例だからダメ」という判定はされない。
- 国内優先にはあまり期待せず、これ以上データは出てこない前提で書くのがおすすめ。
後編では、データがこれ以上増えないという前提の下、明細書作成段階での留意点を伺います。

田中 研二(弁理士)
専門分野:特許権利化(主に機械系、材料系)、訴訟
