
こんにちは、知財実務情報Lab.専門家チームの石川 勇介(弁理士、法律事務所ZeLо、元ジェトロ・バンコク事務所)です。
今回は、アセアンの知財情報を網羅的に解説した下記調査報告書を通じて、実務者が直面している課題(改善要望)について解説したいと思います。
ASEAN各国の知財政策及びIP5等からの知財協力の現状に関する調査研究
(令和6年3月、特許庁委託事業、三菱UFJリサーチ&コンサルティング社)
今回のテーマについて、以下の構成で解説を進めます。
2.アセアン知財で直面する課題(改善要望)
3.実務家視点での対策のご提案
4.まとめ
1.はじめに
本記事で紹介する上記調査報告書は、「アセアン知財制度の整理」にとどまらず、アセアンに進出する日本企業や現地事務所に対する「ヒアリング調査」を重視しています。これにより、日本企業が直面しているアセアン特有の具体的な課題(改善要望)がまとめられています。
今回は、この長編の報告書から見えてくる「アセアン知財の課題」を整理し、実務を通じて「私が考える解決策」とあわせて解説します。
2.アセアン知財で直面する課題(改善要望)
上記調査報告書に寄せられた、企業や事務所の「リアルな懸念や切実な悩み」を読み解いた結果、日本企業がアセアン知財において直面している課題(特に日本と異なる点)は、大きく以下の4つの観点に集約できると考えます。
なお、具体的に例示している国名はアセアン主要6カ国に限定しています。
(課題1)法令・制度(特許保護対象など)の違い
- 特許保護対象の制限:主として日本で特許として認められる「コンピュータプログラム自体の発明」が保護対象外とされ(タイ、ベトナム、マレーシア、フィリピン)、また「医薬用途発明」が保護対象外(保護されにくい)とされている国(ベトナム、タイ)がある。
- 無効化手続の管轄:日本では特許無効審判は特許庁に対して請求するが、アセアンの多くの国(インドネシア、タイ、マレーシア、フィリピン)では、裁判所以外の無効審判制度がなく、裁判所に対して取消や無効の提訴を行う必要がある。
- 職務発明制度の違い:日本企業は社内規程での合意が優先されると考えがちであるが、タイ、ベトナム、インドネシアでは、法定の報奨金基準が優先されることや、事前の合意があっても現地裁判所が独自の裁量で報奨金額を決定し得るという「予測不確実なリスク」が存在する。
- その他特有の制度:各国において「特許の実施義務(インドネシア、タイ、フィリピン)」、「強制実施許諾(インドネシア、マレーシア)」、「第一国出願義務・安全保障管理(ベトナム、マレーシア、シンガポール)」、「ライセンスの登録義務(インドネシア、タイ)」といった独自の制度や運用があり、これらへの対応が課題である。
(課題2)審査実務の質と運用面での課題
- 審査官の技術理解と能力不足:タイ、ベトナム、インドネシアにおいて、特許審査官の技術に対する理解が限定的であり、予見性の低い拒絶理由(オフィスアクション)が発行される。
- 他国審査結果への依存:シンガポールを除き、タイ、ベトナム、インドネシア、フィリピン、マレーシアでは独自の審査能力がまだ不足しており、五大特許庁の審査結果に依存する傾向が強くある。
- 商標の識別性判断の特異性:主にタイ、ベトナムにおいて、商標の識別性の判断基準が国際的な基準と比較して特異かつ厳格であり、権利化のハードルとなっている。特にマドプロ経由の国際出願において、この厳格な基準により暫定的拒絶通報を受けるケースが多発しており、結果的に現地代理人を起用する追加コストや手続の遅延が生じる原因となっている。
- 誤訳訂正の困難さ:現地語への翻訳エラー(誤訳)が権利行使時の致命傷になるにもかかわらず、登録後の誤訳訂正が原則として認められない(タイ、ベトナム)、実質的に訂正不可能(インドネシア)といった硬直的な運用が大きな壁である。
(課題3)権利行使と模倣品対策の課題
- 司法・裁判所の機能不全と人材不足:特に、タイ、ベトナム、インドネシアにおいて、複雑な特許侵害訴訟の技術的争点を適切に審理できる専門人材(裁判官)が不足しており、民事訴訟による権利行使が十分に機能していない実態がある。
- 予測の不確実性:タイ、ベトナム、インドネシアにおいて、司法判断のばらつきや不透明な運用により、自社が取得した権利を実際にどこまで行使できるかが不明瞭である。この「予見可能性の低さ」が、日本企業が現地で積極的な知財訴訟に踏み切れない要因となっている。
- 水際対策(税関)の実効性:アセアンでは模倣品が大量流通しているものの、「外国企業が直接、税関の事前登録制度を利用できず、現地法人の設立(インドネシア)や、現地代理人の起用(タイ、ベトナム、フィリピン)が必須となる」といった実務上のハードルが存在する。制度の実効性向上が強く求められている。
(課題4)知財情報インフラの不安
- データベースの信頼性と情報不足:アセアンの商標情報を統合した「ASEAN IP REGISTER」において、データの反映遅れや不完全性が散見され、実務に耐えうる信頼性が担保されていない。また、タイ、ベトナム、インドネシアでは、公報以外の情報(審査経過や審決・判決のフルテキスト)へのオンラインアクセスが依然として困難であり、情報公開が求められる。
- 電子出願システムの不備:ベトナム、インドネシアにおいて、電子出願システムの導入自体は進んでいるが、頻繁なシステムダウン、旧紙出願データとの不整合といったインフラ面の不具合が常態化している。これが「期限管理の深刻なリスク」となっている。
3.実務家視点での対策のご提案
本報告書に寄せられた課題(留意すべきポイント)に対し、企業はどのように対処すべきでしょうか。以下、全てではありませんが、私の実務経験に基づく「具体的な対応策」をご紹介します。
(対策①)特許保護対象の制限に対する対応(用途発明、プログラム)
【対策】アセアンでは、国ごとに保護対象の要件(許容されるクレーム形式)が異なるだけでなく、出願後の柔軟な補正や誤訳訂正が厳格となっています。そのため、各国への移行段階で、現地ルール(ハードウェア要件やスイス型クレームなど)に合わせてクレームを最適化しておくことが、予期せぬ拒絶を防ぐ対策になります。
「用途発明やソフトウェア発明の保護」及び「インドネシアの法改正動向」については、過去に執筆した以下の記事で詳しく解説しています。
【参考記事】
■東南アジアの用途発明の取扱い(タイ、インドネシア、ベトナム基本NG!)
アセアン主要6カ国の「用途発明」の保護状況

(対策②)制約の多い審査・手続の対応(誤訳訂正、第一国出願義務など)
【対策】アセアンでは、「登録後の誤訳訂正」が制限されるほか、現地創作発明に対する「外国出願前の許可(第一国出願義務)」が求められるなど、手続面に制約があります。誤訳リスクや審査遅延に対しては、日本の審査で確定したクレームで移行手続きを行う「PPH」の活用が有効です。一方、第一国出願義務に対しては、現地開発案件の出願前クリアランスを徹底する社内管理体制が不可欠です。
「アセアンにおけるPPHの活用」や「第一国出願義務への対応」については、過去に執筆した以下の記事をご参照ください。
【参考記事】
「特許の早期審査プログラムのまとめ」

(対策③)特許実施義務と強制ライセンス対策
【対策】アセアンでは、特許の不実施に対する制裁(強制実施権の付与や特許取消)に注意が必要です。特にインドネシアでは2024年の法改正により、全ての特許権者に「毎年の実施報告」の提出が義務化されました。現在は「製品の輸入」や「ライセンス供与」も実施とみなされるよう要件が緩和されていますが、実施報告を怠ることや、未実施状態が3年以上継続すると、「第三者からの強制ライセンス請求」や「特許取消」といったリスクを招きます。これを防ぐためには、自社特許の実施状況を棚卸しした上で、例えば「年金納付とセット」で現地代理人に報告手続を依頼する「社内運用フロー」を構築することが不可欠です。
4.まとめ
今回は、「アセアン知財の実務課題と対応策」についてご説明しました。ご紹介した「調査報告書」は、アセアン各国の実務者が直面している「リアルな壁」を浮き彫りにしています。アセアンで事業を展開する企業の皆様にとって、現地の状況を把握する貴重な情報源となり得ます。
本記事でお伝えした実務的アプローチが、アセアン知財戦略の一助となれば幸いです。

石川 勇介(弁理士、法律事務所ZeLo、元ジェトロ・バンコク事務所)
専門分野:特許権利化実務(化学/材料/機械/ソフトウェア/ビジネスモデル)、特許調査
法律事務所ZeLo https://zelojapan.com/
